施設行事の昔・今

2014.3.2

みなさん、こんにちは。
「施設長だより」の順番が回ってきました。
何を書こうか?と種々考えてみましたが、この度は施設行事を振り返ってみようと思います。

単調になりがちな施設生活を彩ってくれる楽しみの一つとして、行事は大きな意味をもっています。私も行事に関わることが多かったので、慈啓会に限ってですがその昔と今を振り返ってみました。

40数年前、大きな行事といえば、春は園庭での「花見の宴」夏は「盆踊り」秋は「敬老行事」と「運動会」冬は「餅つき」「忘・新年会」他に毎月の「誕生会」が定番で、生活の中のイベント的な要素が強い内容でした。そうした中で義務的に参加する入居者の退屈そうな表情に行事の見直しを検討しました。

予算も少なく、カラオケや仮装の小道具等もない当時、いかに面白く、もっと笑わせ、もっと記憶に残る行事にするには、アイデイアと手間暇かけた準備と手作り小道具での勝負でした。そして、新しい行事の開発、従来の行事の更なる工夫、いかに職員を参加させるか?参加者を増やすためのPRは?等々、酒と唄と踊り等の単なる宴会から「オーッ!」と驚かせるものを目指して、次々とアイデイアが生まれました。職員には有無を言わせず、恥も外聞も捨てさせ、半強制的に参加して頂きました。何といっても鍵を握るのは職員の意欲でしたから。少しでも前回と違う楽しさを模索し、例えば、運動会の女子職員のチアガール、秋の夜長の一夜の「大演芸会」は、全職場対抗で、合唱あり、寸劇あり、特に男性職員の女装は大うけでした。夏祭りにはお神輿、盆踊りには行燈を入居者と共に作り、共に練り歩いたものでした。夏祭りを始めたのも昭和50年代前半頃でしたか。例を挙げればきりがありません。

あれから30年〜40年が経ちました。多くの施設が生まれ、介護保険制度が始まり、高齢者福祉は大きく変わり、施設への社会の意識も変わりました。当時、明治生まれが多く、身寄りのなかった入居者の笑顔の回数を増やすチャレンジも尻すぼみになってきました。行事よりも優先することや、経営面、事務的業務が増えました。

高齢者が生きていく日々の気持ちや表情を汲み取ることはできても、共に笑えることが減った気がします。たかが行事に何の意味が? そうじゃない、と考えるのは、古き時代の単なる郷愁なのでしょうか?


施設長 原 一 男