森永製菓創立者森永太一郎に学ぶ

2018.5.25

最近お騒がせの安倍晋三首相の奥様である、昭恵夫人。彼女のお父様は森永製菓の社長で、曾祖父は、森永製菓の初代社長森永太一郎です。この初代社長の太一郎さんは偉大な人物で、「隣人愛の実践」を行った人物として今回職員研修に取り上げました。

佐賀県出身の彼は6歳のときに父が病死、その後親戚の家をたらいまわしにされて育てられ、12歳になっても文字が読めなかった。23歳の時、アメリカでの陶器販売を夢見て渡米するが結果は散々であった。借金を抱え深い挫折感のなか、自殺しようかと悩んで公園のベンチに座っていると老婦人が彼の隣に座り、ハンドバッグからキャンディーを取り出し彼に勧めてくれた。あまりのおいしさに彼は洋菓子職人になろうという思いが湧き上がった。災い転じて福となすということわざがありますが、まさに、大きな挫折が大きな祝福への第一歩となった。

日本に帰国後、東京赤坂に森永西洋菓子製造所を開設した。1913年森永ミルクキャラメルを発売。翌年パッケージに入った森永ミルクキャラメルはヒット商品となり全国的に有名になった。あの福沢諭吉も大好きで、毎週買い求めていた。

1923年9月1日関東大震災の知らせを聞いて、太一郎は「当社は全力で、被災者を救済する。」と通達を出し、被災者の救援活動を開始し、菓子やミルクの在庫品を無料で被災者に配り続けた。太一郎が72歳で死ぬ間際に息子を病室の枕元に呼んで語った最後の言葉が、「困った人がいたら助けてやりなさい。」であった。 この話を聞いてから甘い物好きな私は森永製品を愛用する者となりました。


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