今世と藤の花
ケアハウス藤花というくらいだから、藤の花とゆかりのある施設と思うでしょうか。
実はその通りなのです。
私も宏友会に入社した時から、なぜかここの「藤」のことが妙に気になる存在としてあり、かれこれ15年近くの付き合いになる。15年。どうりで藤も私も歳を取るわけだ。いや、藤は歳を取ったのだろうか。ここの藤は樹齢100年を超えるというから、おじいちゃんかおばあちゃんかと思っていが、藤の樹齢は1000年超えるものもあるらしい。
なんだ、まだまだ若者、私がこの世を去っても、その先もずっとこの藤は、人々の暮らしを見ていくのだろう。西野のこの地で。
藤の太い幹と空に広がる蔦、そして藤の花たちが、不思議な力を持っていることは、ここに来た時から私は感じていた。それは、様々なカタチで感じるのであるが、一番多いのは、やはり藤棚の下を通る時だ。
こんな事を言うと、ちょっと怖い話しのように思われるかもしれないが、どちらかと言うとその逆だ。ほとんどが“生”と“静”だ。
時に、私は藤棚の下で大きく息を吸う。すると棚のした一面にさあっと空気が流れる・・気がするのだ。世の中にコロナ禍がやってきてからは、マスクで息が詰まる日々が続いているが、藤の下の空気には確かに浄化力がある。
ところで、何かと話題になっている鬼滅の刃では、藤の花は鬼を寄せ付けない力を持つ。それを知った時、私は直ぐに納得できた。藤棚の下にはその世界がある。とは言え、鬼滅の刃の藤の花は、光のように明るい存在で現れるが、私の知っている藤棚は、ほとんどが薄暗さの中の静けさ、時にこぼれる光のカーテンになる。そんなことだから、コロナも寄せ付けない力があるのではと、密かに思っていた。でも、それは違ったのだ。コロナはちゃんとここにもやってきた。どうやら鬼とコロナは違うらしい。
しかし、こんなご時世、私たちは、絶対的な力で悪いものを寄せ付けない安心や癒しを求めるのかもしれない。そして、かつて、ここの藤棚の下で、ケアハウス藤花の利用者や職員、地域の数多くの人の憩いと活動の場になっていた。
今は静けさ漂う藤棚ではあるが、その力は変わっていない。明らかなことは、今世の私たち命がこの世から消え去っても、ケアハウス藤花の藤は、変わらずこの地で人々の暮らしを見守っていくことである。